Heike narrative research project

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Heike narrative research project

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琵琶法師が語ったという『平家物語』。それはどのような節回しだったのでしょうか?

その語りと節回しは「平家」と呼ばれ、近代以降も、一部の盲人箏曲家によって細々と伝えられてきましたが、21世紀に入り、伝承者は名古屋在住の盲人箏曲家今井勉師ただひとりとなってしまいました。この「平家」の伝統を次世代に伝えるために、3人の若手演奏家が立ち上がりました。このHPでは、800年近い年月を越えて伝えられてきた古典音楽「平家」と、3人の新しい平家の演奏家たちの活動をお知らせします。

写真提供 浜松市楽器博物館

2021年9月10日(金)14:00

文化庁 令和3年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業

平家物語の世界その5  語りの伝統を次代に

―琵琶法師の語りでよみがえる壇ノ浦の悲劇―

開催が決定しました。5月末までに詳細をHPにてお知らせいたします。

 

 

 

 

 

 

【新着情報】

 

平家語り研究会とは

 文化庁の委託を受けて、当道の伝統を守って盲人に伝承された平家を、高い芸術性と確かな技術をもって次世代に伝えることを目的に活動している研究会です。薦田治子の主宰する当道音楽保存会の呼びかけに応じ、菊央雄司、田中奈央一、日吉章吾が2015年2月に活動を開始、さまざまな日本の芸能に大きな影響を与えた種目として、平家の紹介普及にも努めています。京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター公開講座、東京藝術大学特別講座、浜松市楽器博物館レクチャーコンサートシリーズ、ICTM(国際伝統音楽協議会)コロキアム、清栄会「初心者のための三味線鑑賞教室」、日本三曲協会講演会などで、演奏を積み重ね、研鑽を積んできています。2018年3月には、スイス高等音楽院のF.ビッジ教授の招聘で中世イタリアの戦語りとのコラボレーションも行いました。

 

菊央雄司

地歌箏曲家。大阪府出身。人間国宝故菊原初子の後継者・菊原光治師に師事。2002年から文化庁の新進芸術家国内研修員として今井勉師から平家の手ほどきを受ける。長谷検校記念全国邦楽コンクール最優秀賞、大阪舞台芸術新人賞、大阪文化祭奨励賞、日本伝統文化振興財団賞などを受賞。平家語り研究会会員。

 

 

田中奈央一

山田流箏曲家。東京都出身。東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。同大学院修士課程修了。 河内百合能師より箏の手ほどきを受け、のちに六世家元 中能島弘子師の直門となる。文化庁新進芸術家国内研修員修了。NHK邦楽技能者育成会第50期首席卒業。東京藝術大学教育研究助手及び非常勤講師を務め、朗読劇ユニット「声劇和楽団」を主宰するなど、多彩な演奏活動を展開している。平家語り研究会会員。

 

日吉章吾

生田流箏曲家。静岡県出身。東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。同大学院修士課程修了。手ほどきを生田流箏曲正絃社大師範の三木千鶴氏に受け、のちに、宮城社大師範の金津千重子氏に生田流箏曲及び三弦を師事。胡弓を髙橋翠秋氏に師事。2014年利根英法記念コンクール最優秀賞受賞。平成28年度文化庁芸術祭新人賞受賞。平家語り研究会会員。

 

薦田治子

東京生まれ。東京芸術大学楽理科卒業、同大学院博士課程修了。平成14年お茶の水女子大学より学位取得。同大助教授を経て、武蔵野音楽大学教授。専門は平家琵琶の音楽、琵琶の楽器史、盲僧の歴史的研究。平成15年『平家の音楽』(第一書房)で山崎賞受賞。CD『琵琶法師の世界 平家物語』(コジマ録音)で芸術祭レコード部門大賞受賞。平家の伝承プロジェクトの成果に対して2018年小泉文夫音楽賞受賞。平家語り研究会主宰。

 

活動記録

2021年2月20日→緊急事態宣言のために中止となりました。

音楽でつづる文学4 平家物語―敦盛―

出演者:日吉章吾(平家琵琶),山登松和,上原真佐輝(箏),田中奈央一(三絃),

           大和左京,大和櫻笙 ほか(大和楽),野川美穂子(解説)

曲目:平家「敦盛最期」、山田流「須磨の嵐」、大和楽「須磨の敦盛」

お問合せ:紀尾井ホールチケットセンター 03-3237-0061(13時ー17時/日・祝休)

料金(税込):全席指定 5,000円、U29  2,500円*、寄附1000円付チケット 6,000円

 

2021年1月17日 14時開演

長栄座新春公演『源平芸能絵巻 赤と白と』

@滋賀県立文化産業交流会館イベントホール

菊央雄司さんが『祇園精舎』を語りました。

 

2020年9月11日(金)

文化庁 令和2年度次代の文化を創造する新進芸術家育成事業

 平家物語の世界その4  語りの伝統を次代に 武士(もののふ) の美学 ―義仲と義経―

 

 

 

 

 

 田中奈央一 《木曽最期 前半》  日吉章吾 《木曽最期 後半》   菊央雄司 《逆櫓》

 

2020年2月16日(日)

声明と平家琵琶 六道輪廻の世界 諸行無常の響き

@紀尾井小ホール

 

日経新聞電子版1月28日文化欄(文化往来)に紹介記事が載りました。

日経新聞2月8日 文化往来欄に紹介記事が載りました。

日本伝統文化財団HPで、本講演のお知らせを掲載して下さいました。

雑誌『観世』2月号の「巻頭エッセー」で本研究会の取り組みを紹介させて頂きました。

中世文学漫歩のサイトで2月16日の「声明と平家琵琶」の演奏会を取上げて下さいました。

 

2020年2月5日 (水)

本願寺文化シンポジウム「伝統芸能にきざまれた仏教の心ーその表現力に学ぶ-」

@本願寺聞法会館3F多目的ホール

第一部 《シンポジウム》

 釈 徹宗(相愛大学教授・大阪教区豊島北組如来寺住職)

 藤田隆則(京都市立芸術大学教授)

 林家染雀(落語家)

 福本康之(総合研究所仏教音楽・儀礼研究室室長)

第二部 《実演・ワークショップ》

 林家染雀(落語家)

 菊央雄司(平曲)

 真山隼人(浪曲)

 沢村さくら(三味線)

 

2019年12月1日(日)

平家琵琶で聴く『平家物語』

大阪 毎日文化センター

菊央雄司さんが、馴染みの深い「祇園精舎」「那須与一」の実演と合わせて、

『平家物語』と平家琵琶の話や、平家の語りの旋律について解説。

 

2019年10月20日(日)

【勇希の會 邦楽ライフ】

@築地本願寺 第一伝道会館1階「振風」

平家の演奏とレクチャー 田中奈央一

 

2019年10月7日(月)

@かわさき市民アカデミー・伝統芸能講座「平家復興の試み」

解説 薦田治子

平家《那須与市》 日吉章吾

 

2019年9月5日(月)

紀尾井ホール主催公演「音楽でつづる文学2―竹生島―」

@紀尾井小ホール

平家《竹生島詣》(田中奈央一)

義太夫節《源平布引滝》より〈実盛物語の談〉(竹本駒之助・鶴沢津賀寿)

京舞《竹生島》(井上八千代・富山清琴・富山清仁)

 

2019年8月8日(木)

七夕奉納舞台(花崎杜季女主催)

@阿佐ヶ谷神明宮舞殿

平家「木曽最期」(菊央雄司・日吉章吾)

義太夫節と地唄舞「巴」(花崎杜季女・竹本越孝・鶴沢三寿々)

 

2019年5月20日(月)

紀尾井ホール主催公演「音楽でつづる文学1―高倉天皇と小督―」

@紀尾井小ホール

平家《紅葉》後半(菊央雄司・日吉章吾)

平家《小督》の三重(田中奈央一)

生田流箏曲《嵯峨の秋》(菊央雄司・日吉章吾)

山田流箏曲「小督」(山登松和・田中奈央一・上原真佐輝)

 

2019年5月11日(土)「勇希の会&邦楽ライブ」

@築地本願寺「振風」(中央区)

平家《宇治川》(田中奈央一)

 

2019年2月9日 浜松市楽器博物館と浜松市城北図書館共催企画

@浜松市城北図書館

平家《祇園精舎》《奈須与市》(菊央雄司)

 

2019年1月31日  東京文化財研究所「実演記録:平家」第2回収録

@東京文化財研究所実演記録室。

平家《敦盛最期》(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

 

2019年1月19日 日本アスペン研究セミナー「琵琶による弾き語り『平家物語』」

@国際文化会館岩崎小彌太記念ホール

平家《祇園精舎》(菊央雄司・田中奈央一)

平家《敦盛最期》(田中奈央一)

平家《奈須与市》(菊央雄司)

 

2019年2月号の『文藝春秋』の巻頭エッセーに、平家伝承プロジェクトの紹介文「『平家物語』が危ない」が載りました。

 

2018年12月7日・20日  堀江眞知子「マイ・フェイヴァリッツ~山田武彦・田中奈央一とともに」

@ムジカーザ(東京)/パトナホール(仙台)

シューマン作曲《女の愛と生涯》(堀江眞知子)

平家《奈須与市》(田中奈央一)

 

2018年9月8日 当道音楽保存会「平家物語の世界 その2」 復元に向けて

@紀尾井小ホール

平家《敦盛最期》より(日吉章吾)

平家《宇治川》(田中奈央一)

平家《紅葉》より(菊央雄司)

平家《祇園精舎》《上日》(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

 

2018年8月20日、日本経済新聞朝刊「文化往来」欄に、本研究会の活動が紹介されました。

 

2018年7月8日 楽劇学会全国大会公開講演会「楽劇と平家物語」

@国立能楽堂大講義室

野川美穂子氏の講演中で平家のデモンストレーション

平家《祇園精舎》、《敦盛最期》(田中奈央一)

平家《奈須与市》(菊央雄司)

 

2018年6月2日 国立劇場「日本音楽の流れⅡ 琵琶」

菊央雄司・田中奈央一、今井勉師休演に伴い実演解説コーナーで平家の紹介。

 

2018年5月24日  平家伝承プロジェクトにより薦田治子が小泉文夫音楽賞を受賞しました。受賞記念講演の内容は同賞のHPにアップされています。

 

 2018年3月31日 F. Biggi主宰Oulomenen Project

@Grand Salle, Haute Ecole de Musique de Geneve

平家《祇園精舎》(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

平家《横笛》(田中奈央一)

平家《奈須与市》(日吉章吾)

三味線組歌《早舟》(菊央雄司)

 

2018年3月29日 F. Biggi主宰Oulomenen Project

@Auditorium di Pigna (コルシカ島)

平家《祇園精舎》(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

平家《横笛》(田中奈央一)

平家《奈須与市》(日吉章吾)

三味線組歌《早舟》(菊央雄司)

 

2018年3月26-29日F. Biggi主宰Oulomenen Project

@Centre National de Creation Musicale Voce de Pigna

 レクチャー「平家の歴史と復元プロジェクト」(時田アリソンと薦田治子)

 

2018年1月16日 東京藝術大学邦楽科特別講義

「『平家物語』と日本の伝統音楽 -聴き比べ 語り比べ-」

1.解説「平家と平家物語について」(薦田治子)

2.小督の聴き比べ

  ・平家《小督》より(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

  ・能《小督》より(謡 梅若紀佳)

  ・箏曲《嵯峨の秋》前歌(日吉章吾・田中奈央一)

3.敦盛の聴き比べ

  ・平家《敦盛》より(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

  ・能《敦盛》より(謡 小野里康充)

  ・山田流箏曲《須磨の嵐》より(田中奈央一・横地美紅・萩岡由子・友常聖武)

4.語り比べ

  平家《敦盛》、《祇園精舎》より(全員)

 

2018年1月15日  東京文化財研究所「実演記録:平家」第1回収録

@東京文化財研究所実演記録室。

《祇園精舎》《紅葉》《敦盛》《俊寛》《小督》より(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

 

2017年11月25日  文京シビックホール主催公演『日本の響き世界の響き2』「琵琶とシルクロード」

@文京シビックホール小ホール

平家《横笛》(田中奈央一)

ウード(松田嘉子)、リュート(坂本龍祐)、中国琵琶(邵容)、鶴田琵琶(中村鶴城)とともに出演。

 

2017年8月16日

教育芸術社、高校2年生用「音楽」教科書教材用録音

@フリーキック・スタジオ(徳井ビル、港区麻布台1-9-5)

《敦盛》冒頭口説、《祇園精舎》冒頭((田中奈央一))

 

2017年7月29日

鎌倉芸術館キャラバン隊「鎌倉国宝館で見る平家琵琶の世界」

@鎌倉国宝館の展示「音から見た鎌倉のかたち」の展示会場

平家《生食》より(日吉章吾)

 

2017年4月4日

当道音楽保存会「平家物語の世界―語りの伝統を次代に―」

@紀尾井小ホール

名古屋平家の伝承曲8句の習得記念デビュー演奏会

《生食》より(日吉章吾)、《横笛》より(田中奈央一)、《奈須与市》より(菊央雄司)

 

2017年1月23日

公益社団法人三曲協会講演会「地歌箏曲と平家」

@紀尾井小ホール

講演 「地歌・箏曲と平家―検校芸に学ぶ―」 薦田治子

1. 平家《竹生島詣》より(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

2. 三味線組歌《早舟》(菊央雄司)と平家(日吉章吾)

3. 地歌《竹生島》(箏: 齋藤文加代妃、三弦: 佐藤文岳晶)と平家(菊央雄司)

4. 山田流箏曲《寿くらべ》(箏:上村和香能・奥山益勢、三弦:田中奈央一)と平家(菊央雄司)

5. 山田流箏曲《雨夜の月》(箏:田中奈央一)と平家(日吉章吾)

6. 語り比べ《奈須与市》(出演者全員)

 

2016年12月16日

清栄会「初心者のための三味線音楽鑑賞会」

@国立劇場伝統芸能館

義太夫節との聴き比べ

平家《祇園精舎》(菊央雄司)と義太夫節《源平布引滝》〈松浪琵琶の段〉より(竹本津駒太夫・鶴沢藤蔵)

 

2016年10月22日-24日

ICTM Colloquium: “Plucked Lutes of the Silk Road” に参加

@上海音楽学院

アジア各地のリュート族楽器演奏者とともに出演。

平家《宇治川》より(日吉章吾)

 

2016年7月20日

浜松市楽器博物館レクチャーコンサート「諸行無常の鐘の声―声明と平家琵琶」

@浜松市楽器博物館

声明解説   近藤静乃

声明『恵心講 二十五三昧式』より《六道講式》ほか(海老原廣伸)

平家《祇園精舎》《宇治川》より(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

座談:声明と平家の関係とは(海老原廣伸・日吉章吾・近藤静乃・薦田治子)

 

2015年12月18日

東京藝術大学邦楽科特別講義「平家から見た日本音楽の流れ―その影響と引用―」

@東京芸術大学第6ホール

1.平家《奈須与市》より(菊央雄司・田中奈央人・日吉章吾)

2.楽琵琶(〆野護元)と平家琵琶(日吉章吾)

3.能の謡(関根友孝)と平家の語り(日吉章吾)と山田流箏曲《雨夜の月》(田中奈央一)

4.三味線組歌《琉球組》(菊央雄司)と平家(日吉章吾)

5.山田流箏曲《寿くらべ》(箏:田中奈央人・長岡咲也子・山下綾、三弦:船木麻代)と平家(日吉章吾)

6.平家《祇園精舎》より   菊央雄司・田中奈央人・日吉章吾

 

2015年6月13日

京都芸術大学日本伝統音楽研究センター第41回公開講座『「平家」から見た日本音楽の歴史』

@ウィングス京都イベント・ホール

 講演「古代と近世の音楽をつなぐ平家」       薦田治子

1.平家《鱸》より(菊央雄司、田中奈央一、日吉章吾)

2.雅楽(齊藤尚)と平家(菊央雄司)

3.地歌(長谷川慎)と平家(菊央雄司)

4.義太夫節(田中悠美子)と平家(菊央雄司)

5.山田流箏曲(田中奈央一)と平家(菊央雄司)

6.平家語り《祇園精舎》より(菊央雄司・田中奈央一・日吉章吾)

 

 

平家(平家琵琶、平曲)とは

琵琶法師と琵琶

平家の歴史と現状

 

1.『平家物語』は音楽作品

 「平家」とは、『平家物語』を琵琶の伴奏で語る音楽種目の

名称です。『平家物語』は、しばしば「日本を代表する文学作

品」であると説明されますが、本来は「音楽作品」といったほ

うが適切だといえます。

 この作品の成立については、その作者も含めて、確定的なこ

とはよくわかっていません。『平家物語』の誕生の経緯を書い

たものとして有名な『徒然草』には、信濃前司行長という人が、

天台宗の座主(最高責任者)であった慈鎮和尚(じちんかしょ

う)の庇護の下で『平家物語』を書き、生仏(しょうぶつ)と

いう盲目に語らせたとあります。『徒然草』は『平家物語』の

成立から100年ほど経ってから書かれたので、この記述を鵜呑みにするわけにはいきませんが、成立当初から、語られた、つまり音楽作品であった可能性は高いと思われます。私たちが最もよく知っている『平家物語』の本文は、数ある『平家物語』のバージョンの内、「覚一(かくいち)本」と呼ばれている一本です。覚一というのは、14世紀に活躍した琵琶法師の名前ですから、少なくとも、この一本は、語りの台本であった、つまり平家という音楽作品の歌詞が書き留められたか、あるいは語りを前提に書かれたもの、といってもよいと思います。

 

2.種目の呼称「平家」について

 最初に書いたように、『平家物語』を琵琶の伴奏で語る音楽種目のことを歴史的には「平家」と呼びます。現在の伝承者も「平家」と呼んでいますが、明治時代になって国文学や歴史の研究の世界で、「平家」は平家一族や『平家物語』の略称としても頻繁に用いられたことから、紛らわしさを避けて、一般には「平曲」と呼ばれることが多くなりました。しかし、本来「平曲」は、江戸時代に平家を稽古事として楽しんだ武士や茶人、俳人たちが気取って呼んだ名称です。素人の稽古事として「平曲」と呼ぶことは構いませんが、ここでは、伝承者たちが自ら呼びならわしてきた「平家」という呼称を用いることにします。

 

3.平家の流行

 琵琶法師が『平家物語』を語ったというもっとも古い記事は、13世紀末の『普通唱導集(ふつうしょうどうしゅう)』という本に見られます。14世紀には覚一という天下無双の名人が出て活躍したことが公家の中原師守の日記『師守記』などからわかっています。『太平記』にも、弟子の真一とともに、「鵺」の一節を語ったことが見えます。「覚一本」という『平家物語』のバージョンは、この人が、伝承の崩れることを案じて記録させたという奥書のあるものです。覚一以後の約1世紀が平家の最盛期だったといってよいでしょう。たとえば、室町時代の東福寺の僧侶、雲泉太極の日記『碧山日録』の寛正3(1462)年の記事に、「盲者在城中唱平氏曲物五六百員、以摠一綱首、咸惜其伎云(京都には、5、600人も平家を語る盲人がいて、摠一(という琵琶法師)がその統括責任者である。(その摠一が亡くなったので)みなその技を惜しんだという)」とあり、京都には平家を語る琵琶法師がたくさんいて、それを統括する組織もあったことがわかります。また、15世紀前半の伏見宮貞成(後崇光院)の『看聞日記』には、琵琶法師の名前や平家を聴聞した記事がたくさん記されていて、当時、いかに平家が盛んに演奏されていたかがわかります。その後、平家は古典音楽化して、茶道や連歌の席で語られたり、あるいは仏教の儀式で用いられたりするようになります。

 

4.琵琶法師から地歌箏曲の演奏家へ

 ところで16世紀も半ばを過ぎたころに、三味線が日本に伝来します。平家を語っていた琵琶法師たちは、この新しい楽器に関心を持ちました。使ってみると、琵琶よりずっと軽くて扱いやすいことに気付きました。そこで、琵琶法師たちはこの楽器の胴を大型化し、棹も長くして、琵琶を弾くのと同じように撥で弾き、琵琶の代用楽器として使い始めました。

 江戸時代に入ると、琵琶法師たちは、三味線を用いて「地歌(じうた)」という室内歌曲の種目を発達させます。それだけでなく、箏や胡弓の音楽も演奏して、人々の人気を集めます。こうして琵琶法師は地歌箏曲という種目の担い手になっていきます。しかしそうした中でも、平家の伝承も大切にしましたので、地歌箏曲の演奏家たちが、江戸時代を通じて、平家も伝えてきました。

 

5.当道座(とうどうざ)

 中世に平家を得意として力を付けた京都の琵琶法師の組織は、「当道」という全国的な盲人の座に発展し、江戸時代には平家だけでなく、地歌や箏曲の世界も独占します。徳川幕府は、こうした音楽の世界と、針灸按摩という医療の世界を、盲人の専業と認めることによって、盲人の職域を確保し、福祉政策としたのです。検校(けんぎょう)、勾当(こうとう)、座頭(ざとう)といった呼称は、当道座内の位の名称です。

 江戸時代には、平家は、古典音楽として、鑑賞用や儀式用に演奏され、前田流と波多野流という二つの流派ができます。歴代将軍の葬儀の折などに平家の演奏入りの法要が行われましたし、積塔会(つみのとうえ)や涼塔会(すずみのとうえ)といった当道座の年中行事でも、平家が語られました。

 

6.優雅で知的な稽古事としての平家

 江戸時代には、平家は、優雅で知的な稽古事として、武士や茶人、俳人等に好まれるようになります。千利休の孫の千宗旦(せんのそうたん)、小堀遠州(こぼりえんしゅう)、山田宗徧(やまだそうへん)といった茶人、あるいは、芭蕉の弟子たちや、横井也有(よこいやゆう)や井上士郎(いのうえしろう)といった俳人、また『日本外史』を著した頼山陽(らいさんよう)などが平家を愛好したことが知られています。

 

7.譜本(楽譜)の誕生

 こうした愛好者の稽古のために、譜本(楽譜)も作られるようになり

ます。当初は愛好家が、謡本などの記譜法を応用して個人的な覚えとし

て譜本を作ったと考えられますが、やがて当道座の盲人も譜本の作成に

関与することになり、安永5年(1776)には名古屋の荻野検校が『平家

正節(へいけまぶし)』という譜本を完成します。これが今日まで用い

られています。現存する譜本のほぼ半数が『平家正節』と同じ記譜法に

よるものなので、広く普及したことがわかります。なかでも、荻野検校

の子孫にあたる尾崎家が所蔵する一本がもっとも祖本に近いのではない

かと考えられています。

 

8.明治維新以後の平家

 明治時代になると、当道座を保護した徳川幕府もなくなり、当道座も解体されてしまったので、平家を儀式音楽として奏する場も激減してしまいました。また、平家を愛好した武士たちの生活は大きく変化し、稽古事を楽しむ余裕もなくなりましたので、平家は各地で急速に衰退していきました。京都では藤村性禅(1853-1911)を最後として全編を語れる琵琶法師はいなくなりました。東京では、明治時代初期には、地歌箏曲家たちによる平家の演奏が時々行われていましたが、明治中頃になるとそれもなくなりました。

 今日伝わっているのは、前田流のみで、津軽系統と名古屋系があります。津軽系は、津軽藩出身の愛好家が、明治時代以来の保存活動に取り組んだ結果、今日まで伝承されたものです。名古屋系は、名古屋の当道出身の地歌箏曲家の団体が、今日まで代々伝えてきたものです。

 

9.当道の伝統を守り抜いた名古屋

 名古屋は、伝統を大切にする土地柄なので、明治時代になっても地歌箏曲と平家を兼習するという習慣が当道出身の盲人音楽家たちの組織「国風講習会(現在は一般財団法人国風音楽会)」によって受け継がれ、その伝統は今日に及んでいます。語りの節回しは、次第に失われたものの、「三検校」と呼ばれた、井野川幸次(いのがわこうじ)、土居崎正富(どいざきまさとみ)、三品正保(みしなまさやす)の3人が、昭和の後半まで、『平家物語』全200曲(章段)の内、8曲ほどを伝え、1955年には「記録保存の措置を講ずべき無形文化財」に指定されました。 国風音楽会では当道座から引き継がれたと思われる儀式がいくつか残されていますが、そうした儀式の場では、平家が演奏されますし、箏曲演奏会のなかで平家も演奏するという習慣も続けられました。素人の稽古事の指導や弁財天への奉納演奏といった古い習慣も、第2次世界大戦前後までは続いていました。このような音楽の場が、変わることなく引き継がれたことも、平家の伝承が守られた要因でもあると考えられます。

 三品門下に今井勉(いまいつとむ 1958生)師が育ち、現在は国風音楽会の検校として会長を務めながら、三検校の8曲をすべて口頭で伝えています。ただ、残念なことに、今井検校のもとでは、その芸を継ぐ弟子が育っていません。

 

10.津軽の平家愛好家による保存活動の開始

 一方、江戸時代の津軽藩は、国元の武士たちの教養として平家を導入した歴史があり、その際に導入の任にあたった楠美荘司(くすみしょうじ 1819生)の子孫にあたる舘山漸之進が、明治30年代に、東京での平家の衰退を嘆いて、その保存活動に乗り出します。『平家音楽史』を著し、東京音楽学校内の邦楽調査掛で平家の五線譜採譜と蝋管録音を行い、四男甲午に平家を教えました。

 

11.舘山甲午とその弟子たちによる平家の改変

 舘山甲午は、東京音楽学校でバイオリンを学び、高等女学校や女子師範学校などで音楽の教員をしていましたが、金田一春彦によって広く世に紹介され、1969年には、甲午の伝える平家は、「記録保存の措置を講ずべき無形文化財」の指定も受けます。その後、譜本を用いて、何人かの弟子を育てました。

甲午は、『平家正節』の記譜法を習得していたので、それにより、どの曲も復元演奏が可能な状態にありました。しかし、口頭で伝承を受けていなかった曲の解読には、苦労があったようで、弟子たちによれば、ときによって同じ個所の語りの旋律が異なることもあったといいます。甲午の語る平家は、日本の伝統音楽に共通してみられるユリやコブシ、こまかな装飾音がなく、その旋律は直線的でシンプルです。その要因としては、津軽系の平家が、はやくから当道の伝承を離れ、稽古事用に節回しが単純化されていた可能性が考えられます。また、甲午が、ユリやコブシなどをあまり用いない西洋音楽を学んだために、平家を語るときにも、細かな節回しを単純化した可能性もあるかもしれません。さらに、甲午は、平家に必要な低い声がでなかったので、低音の節回しを一部変更しました。

 文化財に指定された後、甲午は、平家の語りを中世の語りに復そうと、助詞の「は」をワではなくハと発音したり、琵琶の調弦を変えたり、一部の旋律の音階を変えたりするなど、独自の工夫を加えました。こうした工夫に批判的であった弟子の金田一春彦と橋本敏江は、甲午独自の工夫を廃し、語りと墨譜(譜本に書かれた記号)の関係を整理して、より合理的な譜の解読法を示し、混乱を収拾し、それに基づいて、それぞれが弟子を育てました。名古屋が昔ながらの形にこだわったのに対し、津軽は、現代人にも語りやすくわかりやすい新しい平家の語りを生み出したといってもよいと思います。現在津軽系の演奏者は何人かいますが、音の高さが正確に取れなかったりする人もおり、まだ、素人の芸域を出ていないことが惜しまれます。

 

12.平家伝承プロジェクト

 当道の伝統を伝える名古屋の平家が失われることに危機感を持った薦田治子が、2002年から、何度かにわたって、その伝承を試みます。2015年に開始した第3次伝承プロジェクトは、2016年度から文化庁の「次代の文化を創造する新進芸術家の育成事業」に採択され、大阪出身の地歌箏曲家の菊央雄司、東京出身の山田流箏曲家の田中奈央一、静岡出身の生田流箏曲家の日吉章吾の3人が、CDやDVDも利用しながら、当道の流れを汲む名古屋の平家の習得に取組みました。江戸時代以来、地歌箏曲家によって平家が伝えられてきたことから、地歌箏曲の演奏に必要な音楽的な能力は、平家のそれと共通するところも多く、今井検校の伝える8曲を習得したのち、伝承の失われた他の章段の復元にも挑戦しています。

 このプロジェクトは、また、ポーラ伝統文化財団や新日鉄住金文化財団の助成も受けています。

 

【平家の参考音源・映像(現在販売されているもの)】

 CD『当道の平家~名古屋三代の系譜』 コジマ録 ALM Records / EBISU-9, 2001.

 CD(七枚組)+DVD『琵琶法師の世界 平家物語』コジマ録音/ ALM Records / EBISU-13―19, 2007.

 DVD『「平家」から見た日本音楽の歴史』日本伝統音楽研究センター/ 京都市立芸術大学 2015.

 DVD『菊央雄司(地歌箏曲・平家)』日本伝統文化振興財団 2017.

 教育芸術社『高校生の音楽2』の鑑賞用CDに《敦盛最期》冒頭収録(田中奈央一演奏)2018.

 

 

映像提供:公益財団法人 日本製鉄文化財団

尾崎家本『平家正節』より祇園精舎

1.楽琵琶

 奈良時代直前に、雅楽の楽器として二種類の琵琶が伝わりました。頸の真っすぐな五弦(絃)琵琶と、頸の曲がった四弦琵琶です。五弦は正倉院にその美しい姿を留めていますが、早い時期に用いられなくなり、その後の日本ではもっぱら四弦曲頸の琵琶が用いられました。奈良時代に、雅楽は、宮廷や神社や寺院などで、おもに儀式の場で演奏されていました。楽琵琶もそうした折に用いられていたと思われます。平安時代になると、貴族たちが、琵琶はじめ雅楽の楽器を自分たちで演奏して楽しむようになります。これを「あそび」といいます。源氏物語などにはそうした場面がいくつも描かれています。そして、楽琵琶は、今日に至るまで、雅楽の伝統の中で演奏され続け、その形もほとんど奈良時代のものから変わっていません。

 

2.琵琶法師の琵琶―楽琵琶と盲人音楽家の接点

 音楽は、視覚に障害のある人が携わることのできる数少ない職業の一つでした。盲人音楽家は世界各地に見ることができますが、日本でも、古代からそうした人たちがいたと思われます。10世紀頃になると、琵琶法師と呼ばれる音楽家が現れます。盲人音楽家が、楽琵琶を手に入れて、自分たちの楽器として使い始めたことが考えられます。古代の日本で、寺院はしばしば盲人音楽家を保護しました。それは仏教的な救済の考え方の一環でもありますが、寺院に人々を集めるのに、芸能者としての盲人の力を借りたかったからでもありました。盲人たちは、寺院の大法要の折に演奏される雅楽の音を耳にしていたと思われます。また音楽家として、貴族の屋敷に出入りするうちに、貴族たちの楽しむ雅楽の楽器に触れることもあったでしょう。そうした経験から、音楽家としての自分たちの活動に都合のよい琵琶を選び取ったと思われます。

 もちろん、貴族たちの使う楽琵琶は、外来の木材をふんだんに使った高級品です。琵琶法師たちにそのような材料が使えるわけがなく、安価な国産材で、木工のできる人に頼んで、見よう見まねで、琵琶を作ってもらったと考えられます。笛の類なども、琵琶法師は手に入れたと思いますが、背中に負うた琵琶は大きくて目立つので、かれらはもっぱら琵琶法師と呼ばれるようになりました。

 琵琶法師の琵琶は、雅楽の琵琶とは別系統の直頸五弦琵琶だという説が、戦後、音楽辞典などで紹介され普及しましたが、この説の根拠は見つからず、むしろ、琵琶法師の琵琶が楽琵琶と同じであることを示す証拠がたくさんあります。例えば、琵琶法師の祖としてしばしば名前の挙がる蝉丸は、雅楽の秘曲の手を演奏することができました。博雅三位という貴族が、蝉丸にその秘曲を習うために逢坂の関に通い詰める話が『今昔物語』に記されています。話の真偽はともかく、琵琶法師が楽琵琶と同じ楽器を使っていたからこそ、こうした説話も生み出されたのでしょう。また、平兼盛という歌人が、「琵琶法師」という題で、「四つの緒に思ふ心を調べつつ、弾き歩けども知る人もなし」という歌を詠んでいます。この

琵琶は「四つの緒」、つまり4弦ですから、日本に伝来した二種の琵琶のうち、楽琵琶と同じ

方だということがわかります。

 また、平安時代の琵琶法師を描いた絵画には、琵琶法師が楽琵琶と同じ形の曲頸四弦琵琶を、

楽琵琶と同じように横抱きにして演奏している姿がはっきりと描かれているので、琵琶法師の

楽器は楽琵琶を取り入れたものと考えて間違いないでしょう。

 

3.平家琵琶

 鎌倉時代になると、琵琶法師たちは平家物語を語るようになります。この時代には、琵琶法師ではなく、「座頭(ざとう)」と呼ばれることの方が多くなります。平家の歴史で述べたように、この芸能は「平家」と呼ばれて、今日まで伝わりました。平家に用いられている琵琶は、琵琶法師の琵琶ですから、基本的には雅楽の琵琶と同じ楽器です。中世には、琵琶の撥や弦を演奏のご褒美に貴族たちからもらった記録がありますし、江戸時代には、同じ琵琶を雅楽にも平家にも用いた例があります。平家が流行したことで、平家を語る琵琶法師たちの社会的な地位も上がり、なかには、楽琵琶と同じ上等の楽器を使える琵琶法師もでてきたでしょう。

 なお、現在の平家琵琶の撥を楽琵琶の撥と比べてみると、平家琵琶では、弦を弾く先端が12,3センチほど扇のように開いていて、その両端の尖った角で弦を弾くようになっています。一方、楽琵琶の撥は、開きの先端が丸く落としてあります。それ以外は素材もあつみも同じです。正倉院の琵琶の撥を見ますと、先端が開いて両側が尖った形をしていますので、楽琵琶の撥も、かつては平家琵琶の撥のように尖っていたものと思われます。

 

4.近世の琵琶法師(1)―当道座の座頭

 平家は14世紀から15世紀にかけて流行しますが、15世紀も末になると、浄瑠璃という新しい芸能が生まれ、琵琶法師(座頭)は巷の音楽家として、浄瑠璃にも携わるようになります。また16世紀半ばには三味線という新しい楽器が伝来し、琵琶法師たちはこの楽器を使って江戸時代にさまざまな音楽を生み出していきます。箏や胡弓といった楽器も扱うようになります。しかし、平家は古典音楽化して、儀式音楽や、武士や茶人、俳人の稽古事としての地位も確立したので、琵琶法師たちも平家の伝承を大切にしました。

中世に平家を得意とした琵琶法師たちは、各地の琵琶法師座を吸収合併し、江戸時代初期には、当道座という全国的な盲人組織をつくることに成功します。当道の中には、検校、勾当、座頭などという官位があり官位に応じて配当とよばれる手当を受け取ることができました。こうした制度に守られて、箏三味線胡弓琵琶という4種の楽器を扱い、上は貴族や武士たちから下は町人や商人たちを相手に、さまざまな音楽を提供したのが、江戸時代の盲人音楽家たちでした。

 

5.近世の琵琶法師(2)―盲僧の誕生

 江戸時代の琵琶法師たちは当道座という盲人組織を作ってこうした音楽活動を展開しましたが、一部の琵琶法師は当道座に参加することを拒んだために、延宝2年(1674)、流行の楽器である三味線を取り上げられ、三味線音楽や箏曲はもちろん、平家も含む芸能活動をすべて禁止され、琵琶にのせて経文を唱えることのみを許されます。しかし、宗教活動だけでは生きていけないので、この琵琶法師たちは、「盲僧」を名乗って、琵琶を三味線風に改造し、流行の三味線音楽が演奏できるようにして、この時代を生き延び、天明年間(1781-1789)に盲僧座を組織し、ようやく社会的な身分を回復します。この盲僧たちの琵琶から、薩摩琵琶が18世紀に、筑前琵琶が19世紀に誕生し、どちらも盲人の手から離れて、明治時代後半から、昭和時代初期にかけて全国的に大流行することになります。

 

6.近・現代の琵琶法師

 上に述べたように、中世までの琵琶法師は、江戸時代に当道座という盲人組織に属するか属さないかで、当道座頭と盲僧に分かれますが、どちらも元は同じ琵琶法師です。明治維新の折に、当道座も盲僧座も同時に廃止され、盲人には盲学校が作られて職業の自由が認められるようになりますが、それ以降も盲人が当道の音楽や盲僧の音楽を演奏する習慣が残りました。

 現在、平家を伝える今井検校勉師も、延岡の盲僧故永田法順師も、肥後の琵琶師である故山鹿良之師も、もとは、おなじルーツから出た、現代の琵琶法師とよぶことができます。

 

20190113  薦田治子

 

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